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Partner in Japan, working together to relieve the suffering of children in Tohoku

子どもグリーフサポートステーション(NPO資格取得申請中)

──ひとりの子どもが育つには村中の人が必要だ (click here to learn more)

http://ci.nii.ac.jp/naid/110008449006

日本における子どものグリーフワーク研究 : ポートグループ「てとてとて」の実践を通し[in Japanese] A study on grief work for children in Japan through the “Tetotetote” support group program.

 

歴史

 

日本が3月11日の大地震、津波による海の脅威に脅える中、Kids Hurt Too Hawaiiはキッズ・ハート・プロジェクト(Kid’s Heart Project)の手を差しのべてきました。災害の影響が少なかった人たちにとって被災地は観光地化しつつあり、私たちが初めにトラウマやグリーフ・ワークをしに日本を訪問した際ツアーバスを見ることがありました。自然の冷酷な破壊は多くの人たちへの活動の呼び声となり日本中、そして世界中へ支援を呼びかけました。私たちの活動はハワイのコミュニティから日本語と英語を話す人達を集め、Kids hurt too Hawaiiがどう地震、津波、そして原発事故の影響を受けた人たちの支えとなるかを考えることでした。このミィーティングでトラウマやグリーフ・ワークを被災地に届け、地元から有志を募って子供や家族支援のボランティア・プログラムの設立に取り組むことを目標としたキッズ・ハート・プロジェクトが立ち上げられました。キッズ・ハート・プロジェクトのチームは募金をし、ボランティアを集めてトレーニングをし、地域団体とネットワークして連携を組み、ハワイと日本の両方でトラウマやグリーフ・ワークができるようにしてきました。

 

2011年の8月、災害から5ヶ月を経て私たちが日本に行けたのはひとえに天野レイコさん、伊藤正治氏、そしてクリストファー・ハーヴィ氏らを始めとする様々な方の寄付があったからです。お陰様で被災地に4名、トラウマとグリーフの専門家シンシア・ホワイト(修士)、伊藤ヒロ(MSW)、そしてボランティア通訳の森田アキ(心理博士)、マイケル・倫大郎・マクダーモット(学士)を送ることができました。

 

日本に旅立つ数日前にルーテル学院大学、日本ルーテル教会 救援からの助成金を頂き、更には日本に着いてからもお告げのフランシスコ姉妹会から寄付を頂きました。仙台市では岡本一家のご好意で、岡本様のお宅に滞在させて頂き、また近鉄インターナショナル・ハワイ、古谷ご夫妻、そして石橋ご夫妻からもそれぞれ御寄付を頂きました。
宮城びっきの会、フラ・スクール:フイ・レフア、東松島市議会議員の菅原さん、そしてハワイアン・ショップ:フラ・フラの坂下さんらに被害者の方を紹介して頂いたり、たくさんの援助をして頂いたこと、心より感謝申し上げます。東北各地のフラ・スクールからのボランティアの皆様、国際武道大学の関係者の皆様、そして204名の参加者全員のお力で今回のプロジェクトは大きな成功を収めました。全ての寄贈者、支援者、参加者、そしてKids hurt too Hawaiiがキッズ・ハート・プロジェクトへ手を差しのべる機会を下さったことを心より感謝いたします。

 

キッズ・ハート・プロジェクト

最初に、キッズ・ハート・プロジェクトが日本の地震、津波、そして原発災害に見舞われた子供たちのサポートに送り出せるよう支援してくださった方々にお礼を申し上げたいと思います。

 

このレポートは私たちの活動の内容をまとめ上げてお伝えするためのものです。今回の活動で明確になったのはただ一つ、トラウマやグリーフ・ワークの必要性がとても大きかったということです。

 

Kids hurt too Hawaii はハワイで10年以上もグリーフやトラウマを抱える子供達にサポートを提供し続けており、日本の被災地の子供達に今必要な

ノウハウを持っています。ですから、今回のキッズ・ハート・プロジェクトはまさに不可欠な活動の一環と言えると思います。

 

今回、初めての活動ではありますが、皆様の暖かいご支援により良い結果を出したと思われます。本当の意味での結果はこれから年を経て被害に遭った子供達とその家族との触れ合いの中で更に明確になっていくことでしょう。

 

写真だけでは ねじ曲げられた車や風に揺れるカーテンがぶら下がる骨組みだけになった家を前にした時の衝撃を、そして腐った魚とカビの生えた家具の匂いを伝えることはできません。紙とペンでは子供達が小さく震える声で、3月11日に日本を襲った津波の黒い波から逃げ切れなかった友を思いながら、しぼり出すような声で語ってくれた話の感情まで伝えることはできません。孫娘の命を救うために自分の手を離して欲しいと願った祖母の話、妹を荒れ狂う波から救った姉の話、屋根の上に流れ着いて自分の家が崩れるのを見ながら子供の名前を泣き叫んだ両親の話、黒い水に浮かぶ

ご遺体のために祈る隣人の話、雪に埋もれた毛布の中で朝日を待って必死に暖まろうとする子供達の話。このような衝撃的な話を伝えきることはできません。

この度の災害に遭遇したことにより、日本人の不屈の心が一層輝いているように思えてなりません。今、その心の光がキッズ・ハート・プロジェクトをSOSの様に引きつけているのです。これは、助けの声を静かに待つ小さな希望の呼び声なのです。

このような災害に遭遇した人々にとっては、3月11日は心を麻痺させ、生きる希望すら揺るがせる悪夢のような現実です。彼らが必要な支えは食べ物を、寝るところを、住まいを、そして痛みを分かち合う人を捜す人々の列の様に無限に近いものです。トラウマやグリーフ・ワークは今、そしてこれからも彼らの人生にとって必要なのです。キッズ・ハート・プロジェクトはこのために立ち上げられた長期的なアプローチをしていこうとするプロジェクトです。

日本の子供達のサポートのために3年間お金を援助して下さることになったアキュラ・ホノルル社との契約には心より感謝いたします。被災地の子供達のために私たちと共に活動をしたい方々と、子供達の笑い声を取り戻し、悪夢の様な記憶を心のそこから追い払い、小さな光が未来を照らす大きな光となるよう全力で頑張りたいと思います。

 

キッズ・ハート・プロジェクトは当初、日本の被災者をハワイへ招こうとしている団体との共同で行われました。次に、日本国内へ赴いて子供達の支えとなりたいと願うルーテル学院の様な団体と手を組みました。ホノルル市内で子供のトラウマやグリーフ・ワークの必要性を伝えるための講習が開かれ、日本語力のあるボランティアの招集と養成をしました。Kids hurt too Hawaiiのエグゼクティブ・ディレクターはマウイ・アロハ・イニシアチブ(Maui Aloha Initiative)と日米協会ハワイ(JASH)の代表と会い、ハワイに招かれた子供達にグリーフ・ワークを施す計画を立ち上げました。JASHからはレインボー・フォー・ジャパン・キッズ(日本の子供達に虹を)という教育ツアーへの参加の提案を頂きました。最初のツアーは7月下旬と8月の上旬に行われました。音楽家・佐藤宗之氏が運営する、音楽を通して子供を支援する宮城びっきの会がJASHとの橋渡し役を務め、日本の中学校からの参加者を集め、ハワイ側でも保護者を揃え、様々な協力を惜しみなくしてきま した 。Kids hurt too Hawaiiからはプログラム・ディレクターであり、トラウマとグリーフの専門家・伊藤正裕(MSW)とKids hurt too Hawaiiのボランティアであり、社会福祉の修士・富田京子(MSW)がツアーに参加しました。付き添いとしてだけではなく、二人は子供達に喪失について話し合う機会を提供し、会話サークルや遊戯・工芸療法も施しました。子供達は会話サークルがとても気に入ったようです。ヒロさん、京子さん、子供達のために最初のツアーに参加して下さったこと心よりお礼申し上げます。参加者が日本へ戻った後も、宮城びっきの会の金谷昌美さんがKids hurt too Hawaiiとツアーに参加した子供達のフォローアップ・ミィーティングを計画してくださいました。最初のミィーティングは原発の被害もあった福島県いわき市で子供達4人と参加者のお姉さんとで行われました。二度目のミィーティングは仙台市で4人の子供と行われました。三度目は最後のミィーティングとなり、火災を被った気仙沼市で子供9人と親4人で行われました。気仙沼市の参加者は、被災者のためにサポート・グループは是非必要と、立ち上げに前向きな姿勢を示して下さり、出来るなら自分たちも参加したいとかなり積極的でした。大人達はお互いに災害について話し合える子供達のオープンで前向きな姿勢にとても満足している、と語っていました。このミィーティングの前には大船渡からカウンセラーの方が被災した子供達のニーズについて話し合いに来て下さいました。

どのミィーティングでも子供達の違う面が見られ、それぞれの地域の特色が伺えました。また、それぞれの地域の物資の普及率やニーズも少し分かりました。私たちが出会った19人の子供達は全員が災害で家を失くしていました。

 

私たちの必要性

はじめに

私たちのヒーローたち

 

キッズ・ハート・プロジェクトは仙台市のフラ・スクール、フイ・レフアで、思いがけず特別なパートナーとなる方達と巡り会いました。理事の北川さんとフラダンスの先生の設楽洋子さんは海岸沿いの教室の水没、生徒の死、そして新しい人生を歩もうと必死に生きている他の先生や生徒を見て活動に踏み出しました。最初はフラダンスを諦めようと思っていたお二人でしたが、フラダンスは癒しに繋がるから止めないで欲しいと生徒に頼まれ、心を強く打たれたようです。全てが失われた中で、以前と変わらずに続けることができるフラダンスだけが、唯一心の支えになると生徒達の多くが口にしたようです。フラダンスの先生達と東松島市議会の議員さんの援助で、無事に個人、家族、フラの生徒、学校関係者、子供達、そして地域の他の方々のためにトラウマとグリーフ・ワークのセッションを開くことができました。これらのセッションは私達が見た中でも特に被害の多かった地区で開かれました。被災地の視察は私達のトラウマ・ワークのための基盤となりました。生存者のお話を伺い、気付いたことは、彼らの話が悲惨な悲しいだけの話ではなく、奇跡でもあるということでした。私達が見た凄まじい被害を考えると、生存者がいたこと自体が奇跡だからです。フラの先生の1人、石巻市在住で60代の菅原さんは地震のために生徒を避難させた後に泥水に飲まれて海に流されてしまいました。漂浪物にしがみついて陸まで泳いで戻り、救助が来るまで泥に埋まっていたのです。生き延びて、フラダンスを通して生徒達を支えることができて良かったと言う彼女の表情は気力で輝いていました。また、私達の活動に対しても大いに喜んで下さいました。フラダンスの先生とその生徒さん達は子供のグリーフ・ワークに多大なる関心を持ってくださったようです。勿論、彼女らもサポートが必要な被害者に違いありませんが。そこにいたすべての人が涙を流しながら自分の話す順番を待ち、他の人の話に共感して相槌を打っていました。話し終えた人は周りのサポートを快く受け入れ、自分の経験を話すことが出来たこの場を他人との繋がりを強く感じることが出来た素晴らしい場と認識できたようです。彼女達はアロハの心をその場の人たちに示してくれたのです。最後のセッションの後には、フラダンスも披露して下さいました。

北川さんと設楽さんは、友人、知人達と共に集めた服、食器、靴などの生活用品を生徒さんのために被災地に持って行って下さっていました。フラダンスのコミュニティのために努力を惜しまずに活動を続けています。

東松島市の市議会議員の菅原さんは、私達が松島周辺の被害者に会えるように様々な努力をしてくださいました。東松島市の視察の際、コンクリートの土台だけが残った彼の家を見ました。菅原さんが市民に避難を呼びかけている間に彼の妻と息子は家と共に津波にさらわれてしまったのです。彼が生き延びたこと自体も奇跡です。海岸沿いの住民に高台への移動を呼びかけている間に黒い波に車ごと持ち上げられてしまったのです。車から近くの家の2階のベランダに飛び込み、彼はそこで波が引くまで待ち続けました。周りの家が崩れ落ちる中、自分もそうやって死ぬのだろうと覚悟をしていた、とおっしゃっていました。防波堤の役割をしていた松林の木は根元から波に引き抜かれ、家並みを貫いて直進し続け、水が引いた後に崖の前に折り重なった松の木の下からたくさんのご遺体が発見されたと聞きました。市議会議員という役職から真っ先に仮設住宅をあてがわれた菅原さんはそれを辞退し、人々の役に立てるように地域の人と仮設シェルターに住むことを自ら選びました。多くの人たちが生き残ったことへの罪悪感に苛まされています。たくさんの喪失は心に深い傷を残しました。菅原さんは災害後30キロも痩せました。彼の活動を支えているのは1人残った娘さんと地域の人々のために役に立ちたいという一心のみです。そして、菅原さんのこのような志こそが私達キッズ・ハート・プロジェクトを突き動かしている、と言っても過言ではありません。私達には彼の様なパートナーがもっと必要です。彼のひた向きな心は多くの人の支えとなるでしょう。彼自身、皆が亡くなってしまったのに、自分だけがなぜ生き残ったのか分からないかもしれません。しかし、それでも菅原さんは東松島市復興のために頑張り続けるでしょう。こういった素晴らしい人達と共に私たちも歩めることを光栄に思います。彼らの暖かい、ひた向きな志がもっと多くの地域で見ることができるようになれば全ての子供達のためのトラウマやグリーフ・ワークが可能になっていくでしょう。

 

「生存者の方々のお話を伺い、気付かされたのは彼らの話の全てが悲劇なだけではなく、奇跡でもあるということでした。」

 

キッズ・ハート・プロジェクトの目標はトラウマを抱える日本の子供達に勇気と希望を与え、地域ごとの子供達の支援プログラムの設立です。第一歩は被災地の子供達のためにトラウマやグリーフ・ケアの場を与え、立ち上げ、継続させることです。この度の訪問で私達は下記の事柄を優先することにしました:

  • トラウマやグリーフを抱えた子供達と働く大人達の視野を広げ、技術力を高めるためのトレーニング
  • 災害に遭った子供や大人にトラウマとグリーフ・ケアを提供する
  • キッズ・ハート・プロジェクトの維持と拡大のための資金活動
  • 被災地の復興と子供達のために他の団体と協調していく
  • 子供がトラウマや喪失と向き合うためのKids hurt too Hawaiiの書籍の日本語訳を作成する

 

「話し終えた人は周りのサポートを快く受け入れ、自分の経験を話すことの出来る場を前にして他人との繋がりを感じることが出来たようです」

 

活動内容

私達のヒーローたちの続き

この度の訪問で子供81人と大人123人にお会いしましたが、自分の災害時の経験を誰かと話し合った人はいませんでした。親と子供、会社の同僚、学生、そして夫婦の間で個人の経験を分ちあった人は極わずかでした。しかし、話すことを許された人達の前では“日本人の我慢”の精神も決して妨げとはなりませんでした。私達は自分の経験したことを人に語ることは重荷ではなく強さを分かち合うことだと、そして経験を話すことで人との繋がりが生まれて支え合うことが出来るのだと教えてきました。他人に語られた分、自分の重荷は軽くなります。癒しを引き出すには、グループでお互いに話し合える安全な場が必要なのです。そして、トラウマは真っ先に癒されなければいけません。

6回のワークショップで合計101人の人が参加しました。長い間我慢していた涙が滝の様に流れ、勇気を出して口を開いた人達に感化された人達も次々と自分の経験を話し出しました。混乱、麻痺、そして恐怖の話や経験がそこにいたすべての人たちに暖かく受け入れられました。参加者全員の話を聞く時間があり、リラクゼーションの仕方も教えられ、今後の相談も受けることができました。本音と経験をさらけ出した彼らの勇気に心より感謝しています。

トラウマへの一番の対処法はグループ療法と遊戯・芸術療法です。グループ・セッションの中で個人の経験を尋ねる時、とても気を使います。喪失やトラウマ後、初めて他人に話す時が一番難しいのです。しかし、何回も他人に話すことで他人との共通点、話の中の反省点、そして前に進もうという強さが生まれます。私達が会った殆どの方達にとって話すのは初めてのことだったので、私達が帰った後のことが心配でした。ですから、私達がこれからも定期的にトラウマ・ワークを継続して行うことは重要な課題です。そうすることによって、地域の皆さんが子供達のためにサポート体制を作る強さになっていくと私達は信じています。

 

経験を語ることで脆くなった心を守るために私達は3つの方法を用いました。

・1つ目は芸術療法の一環ですが、参加者に自分にとって大事なものをハートの形に切り取ったのもに書いてもらいました。次に、その場の全員にハート型に書いたものを分かち合っていただき、

その後、ハート型を破ってもらいました。そして、破ったハートをノリとテープを使って、別の紙に貼付けてもらいました。この作業は、喪失の悲劇の後に心を治す作業を比喩的に表現したものです。目に見えない心の治療を、ハート型の紙を使うことによって視覚化させたのです。

 

2つ目の芸術療法はコア(Koa)の木で出来たペンダントを様々な紙ヤスリで滑らかにしていく作業でした。木を削りながら伊藤さんがヤスリの種類とグリーフの対処法の類似点について話します。最初が一番荒く、様々な方法で癒していく内に滑らかになると。他人と共有したり、サポートを得たりとグリーフ・ワークをすることが大事であり、自分で自分を癒すという考えがとても大切なのです。一番細かい紙ヤスリで削られて模様を引き出した木と同じ様にグリーフの経験は共有できる宝となります。完成したコアの木のペンダントは経験と同じ様に自分で価値を決め、自分でどうするか決めます。

最後の方法はトラウマの症状を描いたポスターや用紙を配ることでした。症状を説明するにあたり、それを経験している参加者を探り当てていきました。そして、その症状をどう対処すればいいのかをお伝えしました。

大人の方達の中で一番多かった症状は麻痺でした。子供たちの中では恐怖やフラッシュバックが一番多かったようでした。感覚、感情の麻痺は心の防御機能だと説明しました。参加者の御1人は麻痺についての説明を聞いた後、自分の感情が無くなってしまったのではないかと不安に思っていたようでしたが、それを聞いて安心したようでした。津波の際、たくさんの遺体を見た時も、子供達がトラウマについて話した時も何も感じることが出来なかったと教えてくれました。しかし麻痺した感覚が普通のことなのだと知り、他人を気遣うことにまた目を向けようと決意したようでした。

トラウマの経験がフラッシュバックとなって戻ってきた場合、私達は「思考停止」という方法でそれを止めるよう教えました。不安や恐怖を感じる人、特に子供達の多くに教えたのは深呼吸をして自分を落ち着かせることでした。

女の子の1人は災害以来毎晩悪夢を見続けていました。伊藤さんが彼女と「ドリーム・キャッチャー」(アメリカインディアンのいい夢を見るための工作)を作り、その由来を説明しました。次に来日する時には、是非彼女のその後の様子を知りたいです。今まで伊藤さんとドリーム・キャッチャーを作った子供達は高確率で悪夢を見なくなっています。

今回、4歳から5歳の子供達が一番オープンでした。菅原さんの努力の甲斐もあって、保育所でセッションを開いた時です。子供達の他にスタッフ19人、そして育児介護者2人と会いました。

この幼稚園は津波の被害を受けた付近の幼稚園から子供達とスタッフが流れ込み、3倍の人数になっていました。子供達の多くが避難しましたが、全員は助からなかったと聞きました。子供達の大勢乗ったバスの1つは波におおわれてしまいました。スタッフと一緒に避難した子供達もビル内まで溢れる水に上の階や屋上へ追いやられました。子供達全員を助けられなかったスタッフの多くが個人的に責任を感じているようでした。

自分達もトラウマを抱えているのに、親やスタッフの方達が子供との接し方をどのようにしたらいいのか尋ねてきました。しかし、子供達の話をしている彼らを見ている内に、彼らもトラウマを背負っていることがすぐに分かりました。自分達の住んでいた場所が瓦礫と化し、毎日それを目にし、家や知人を失くしてしまったそういう方達ばかりでした。短い時間でトラウマについての情報や、自分だけではなく他の人もトラウマを背負っているのだということを出来るだけ明確に説明しました。しかし、彼らのニーズを埋めるにはあまりにも時間が短すぎたと思います。今後 日本に行く場合は時間と労力を一番必要としている地域、東松島、気仙沼、野蒜、相馬等に絞って行く必要があると確認しました。

 

直接津波に遭った人達は どう生き延びたのか、誰を助け、誰を助けられなかったのか、誰が亡くなったのか、どのように遺体が発見されたのか、瓦礫の中に何を見つけたのか、何を失くしたか、そして他人の行動にどう助けられたのか、傷つけられたか、自分達のそれぞれの経験を語ってくれました。

間接的に被害を受けた、また被害の少なかった人達はどう援助すればいいのか、そしてどうやって助けていけるのかを話しました。そういう方達は他の人から聞いた被害者の経験談を語ってくれました。援助を受けた人達の感激ぶりや感謝の言葉を教えてくれました。

学校や家が壊され、災害に遭わなかった地域に移された家族のことを幾度となく聞かされました。話す相手が居ないため、イジメにあっている子供もいました。子供達の殆どがトラウマを負った子供に不安を感じていました。介護の必要な人に付きっきりで夜眠れない小さな子供もいました。私達の仕事は始まったばかりです。

 

活動内容の続き

 

塩と砂の氾濫のせいで畑が復活するのに何年もかかる、と聞きました。泥の中から砂利とセラミックを取り出すには無限の時間がかかることでしょう。

海におおわれた家やビルを立て直すには何万人では足りないでしょう。ですが、誰が子供達を救うのでしょうか?彼らの心の光を輝かせ続ける作業は誰がするのでしょう? 妹を荒れ狂う波から救った姉の様に、子供はお互いを助け合うことができます。子供同士で分かち合う癒しの力を使うには、全ての地域で4つのことが成されなければいけません。

1・トラウマを体験した大人達をサポート・グループを通して力添えする。

2・力添えされた大人達を集め、ボランティア・ファシリテーターとしてトレーニングする。

3・資金提供や場所を確保できるように地域で協力する。

4・安全な場所で定期的に集まり、子供達に1人じゃないことの安心感を抱かせることを地域全体で確実にする。

以上がKids hurt too Hawaiiを立ち上げた基本的な活動です。そして、これがキッズ・ハート・プロジェクトを支援出来る形でもあります。

3月11日の災害の被害は甚大で、日本の文化をも変えてしまう程のものです。問題は、「どのように日本の文化が変わっていくか?」です。被災地の殆どでは個人セラピーのための資源がありません。そして、個人セラピーはトラウマを癒すのに最も効果的な方法でもありません。時間もお金もかかります。キッズ・ハート・プロジェクトはトラウマを癒すためにトレーニングを受けたボランティアでも出来るピア・サポート体制を使っています。必要なのは勇気だけです。地域の子供達のために責任を取るための勇気だけです。日本が子供のためのピア・サポート・プログラムを作れるのは確かです。仙台と石巻で活動を続ける仙台グリーフ・サポート・プログラムや、地域のプログラムを見れば明らかです。中でも大きな資源はあしなが育英会です。

あしなが育英会ならば日本の地域毎の子供のためのボランティア体制を支援することが出来るでしょう。30年以上も活動を続けている日本の法人団体です。奨学金や年1回のキャンプと言った形で何億もの寄付金を孤児に宛てています。彼らの目標の1つは自然災害に遭った子供達への心理サポートでもあります。

Kids hurt too Hawaiiの上級トレーニングの場にあしなが育英会のスタッフが参加しました。このトレーニングは仙台グリーフ・サポート・プログラムの要請のもとで、仙台西洋学院短期大学で行われました。あしなが育英会のスタッフは災害の被害者のために、トラウマやグリーフ・ワークを快く支援してくださる準備があるようです。しかし、地域毎のピア・サポート・ボランティア体制は彼らの視野に無いようでした。

 

 

Kids hurt too Hawaiiの創設者兼エグゼクティブ・ディレクターのシンシア・ホワイトさんは米ダギー・センター(The Dougy Center)で7年間トレーニング・ディレクターを務めており、あしなが育英会の教育スタッフとも1996−1999年にかけて関わっていました。当時、あしなが育英会は子供のグリーフ・ワークに世界的に使われているダギー・センターのモデルを使おうとしていました。東京のレインボー・ハウスの局長・西田さんはダギー・センターのモデルが日本で通用するかを調べるホワイト氏のリサーチ・チームの一員でした。Kids hurt too Hawaiiはダギー・センターのグリーフ・ワークのモデルを、トラウマを負った子供に宛てた最初の機関です。

また、仙台グリーフ・サポート・プログラムのディレクター、そして大学の教授でもある佐藤さんもボランティアを使ったプログラムを立ち上げるように思われました。なぜなら彼らのスタッフもあしなが育英会で訓練を受けていたからです。私達の上級トレーニングへの申し出は、子供達のニーズの観点に違いが見られたのでその必要性を感じたのです。

あしなが育英会のウェブサイトをご覧になれば、彼らが寄付を使って資金調達をしていることが分かります。これらの資金は奨学金等として支払われますが、ローンとして生徒が将来返済していきます。こうして資金が更に増えていきます。アメリカでは奨学金はローンではありませんので返す必要はありません。あしなが育英会は寄付金で2つのビルを建て、そこを子供のグリーフ・ワークで使うと宣伝していましたが実際にはオフィスや外国人留学生のための格安の宿舎として使われているようです。これは寄付を維持するには良い方法だと認めざるを得ません。

あしなが育英会が子供のトラウマやグリーフを優先していないのは、寄付の必要性からかもしれません。トレーニングの際、彼らが地域団体の支援にどう乗り出すのかはハッキリとしませんでした。また、子供の心理サポートを唱えている団体にしては、過去10年で恩恵を受けた子供達の数が驚く程少ないのも事実です。日本に点在する他の機関との交流の中でもあしなが育英会の在り方について疑問を抱く人達が多くいました。

あしなが育英会が子供達のために地域毎に出来ることの可能性は無視できません。プログラムを立ち上げるための助成金を申請したり、地域のボランティアを教育したり、資金調達をしたりとあしなが育英会が出来ることは多くあります。彼らの規模を考えれば、トラウマやグリーフを負った子供達のサポートを一手に引き受ける機関となることもできるでしょう。あしなが育英会ならば、地域のボランティア体制を急激に成長させ、国全体のグリーフ・ワークの在り方を変えることも出来るかもしれません。しかし、今のままの在り方では、トラウマとグリーフ・ワークは遅々としたペースで居続けるしかありません。何千人もの子供達がトラウマを癒すために私達の支援を必要としています。日本の全ての地域が一丸となって子供達の支援に乗り出さなければなりません。日本の未来がそれにかかっているからです。

Kids hurt too Hawaiiはキッズ・ハート・プロジェクトを通し、全力を尽くして日本の子供達に手を差し伸べていきます。私達は今回の最初の訪問でアロハの精神で支援をして下さったたくさんの方達に心より感謝しています。皆様のお陰で大勢の人達に会うことができました。更にこれからも多くの方達の援助が必要とされることだろうと思います。

Kids hurt too Hawaiiはハワイと日本の両方で資金調達に励み、出来る限りの協力を惜しまず、支援を必要としている人達との繋がりを維持していきます。日本と深い繋がりがあり、災害に遭遇した子供達に援助の手を差し伸べて下さっているアキュラ・ホノルルのオーナーは3年間の支援の約束してくださいました。長期に渡って日本とハワイを繋げるキッズ・ハート・プロジェクトは、<トラウマやグリーフを負った子供達が、健全な大人になるためには継続的なケアが必要である>と理解している方々の支援で成り立ってます。

ハワイのオアフ島で行っているKids hurt too Hawaiiのケア活動を日本でも行える様、ご支援くださった皆様に心より感謝申し上げます。

 

これから子供のためのピア・サポート・プログラムを作って行きましょう。

 

キッズ・ハート・プロジェクト

次回の日本への訪問はアキュラ・ホノルル開催のホノルル・Ai on Japanゴルフ大会と慈善コンサートからの得られた資金により11月下旬に

なりそうです。

 

ハワイで11年間続いている非営利団体・キッズハートトゥーハワイは子供や家族のためのトラウマやグリーフ・ワークをピア・サポートやメンター・プログラムを通して提供しています。ピア・グループはアメリカ、オレゴン州にある「グリーフする子供と家族のための全国センター」ダギ-・センターから。